カルマと因果応報のちがい
- 23 時間前
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更新日:10 時間前
ヨガは無意識のうちで重ね着してしまった思考の癖や重さを一枚ずつ脱いでいくプロセスです。
日常の中で心や体が重くなったときあなたはどう思う?
ひどい肩こりや体の緊張が当たり前になると自分が力んでいることすら分からなくなってしまうように悩みも慢性化します。苦しさ、痛みが当たり前になって麻痺してしまう。
お盆の時期を迎えて休日のなか、ふと理由のない重さに気づいたりすることがあるかもしれません。
わたしたちは自分が悪かったのだろうかと自分を責めて相手のせいだと怒りを抱えたり起きた現象を裁いてしまいます。
けれど起きた現象や体の不調そのものに良い、悪いというラベルを貼っていることが実は自分の執着や観念のフィルターを通している証拠でもあります。
ヨガが教えるカルマの法則とは決して自分を罰するためのものではありません。
因果応報とは?(結果に目が向きやすい)
良いことをすれば良い結果が来て悪いことをすれば罰が当たるという、昔からの道徳のような捉え方です。
起きてしまった嫌な出来事に対して、自分が悪かったから罰が当たったのかなと自分を責める材料になりやすい。
カルマとは?(思考の癖に気づいていく)
カルマはサンスクリット語で行為という意味です。
ヨガ哲学では身体を通して感じた心の癖も大事なカルマだと考えます。
それは壁に向かって投げたボールがそのままの強さと角度で手に戻ってくるのと同じです。
自分の気持ちを押さえる。
相手の不機嫌まで自分のせいだと抱え込むといった無意識の心の癖を外に投げていると、それが巡り巡って心身の不調という形で自分に戻ってきます。
起きた現象は自分を責めるためのものではないという考え方。
思考の癖に気づいたとき心の重りは役割を終えてカルマの種は発芽する力を失って消滅していきます。
けれど長年培ってきた心の癖は何度気づいても夏の雑草のようにまた芽を伸ばそうとします。
だから重さに気づいて悩み続けるのではなくいまできる小さな行動を重ねていくこと。
いま、また重りを背負い込んでいないだろうか?
自分の違和感を無視しようとしていないだろうか?
そうやって自分との対話を止めずに問いかけて今この瞬間にできる小さな選択を起こしてみる。
掃除する。
深く息を吐く。
散歩する。
自分に温かいお茶を淹れる。
問いを重ねて身体を動かして何度も自分にもどる。
長年抱え込んできた力みや執着は自然に脱ぎ捨てられて本来の軽さに戻っていきます。
ご先祖様に感謝をして「わたし」を静かに整えるこのお盆のひととき。
芽生える雑草を摘むように淡々と自分との対話を続けていきましょう。
真紀

